サイバーくまひげ

人生100年を楽しく過ごす為、いろんな事柄に興味を持ちチャレンジ中!

今日、7月6日は東流れ小屋の警備担当です。

警備を担当する日は毎年抽選で決まします。
去年は追い山の14日で大変だった記憶がありますが、今年は6日という何も行事がない日で良かったです。

朝、7時から町内の大先輩達が4人位で担当します。
昼、12時から夕方7時までは BB 達の番です。
夜から朝7時までを若手が担当するようになります。

今年はずっと雨ばかりで見物で質問する人達もいなく、スマホで大雨の状況をチェックするのが多い警備でした。

かき山
東流れの標題は、思君慈母成鬼神(きみをおもえばじぼもきしんとならん)

大切な人の為なら優しい母も鬼神になる
山笠事で城(家庭や家業)を留守にする男衆に代わりに、それを守る「ごりょんさん」に敬意を表します。
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飾り山(表)人形師:白水英章
標題:桃太郎初陣(ももたろう ういじん)
人の世の生き血を吸い、不埒(ふらち)な悪行三昧、醜いこの世の鬼たちを退治てくれよう桃太郎 現代社会に蔓延する不埒な輩(やから)の根絶を願います。
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飾り山(見送り)人形師:室井聖太郎
標題:太閤町割縁(たいこうまちわりえにし)
延暦16年(797年)の「続日本書紀」に「博多大津」と記され「土地博く、人・物多し」と都市形成を成していたとされます。 安土桃山時代まで自治都市として栄えましたが、戦火により荒廃。 九州征伐を終えた豊臣秀吉は1587年に博多の復興を構想。この区画整理事業は太閤町割 りと呼ばれ、町筋ごとに「流」という集合体を形成させた。現代博多の基礎をを築きました。 博多松囃子や博多祇園山笠といった大規模な祭事は今でもこの流単位で行われている。
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かき山の下は、こんな感じでクギは使わず縄で締めて作成します。
凄く丁寧で力強く作られているのがわかります。

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今の状態では、この上に飾り山が飾られていますが、かき山として走り出す時には下を取り外し、かき山に乗せ換えて走ります。

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ゆっくりの時間です。
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